政治家の靖国参拝は、完全に各人の自由にしたい

靖国問題の概要

靖国神社には、明治以降の戦争で殉死した人々が祀られており、そのなかには、東条英機元首相ら14人のA級戦犯も含まれています。

靖国神社には現在、幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています

(出典)靖国神社HP「靖国神社の由緒」http://www.yasukuni.or.jp/history/index.html

靖国参拝が政治問題化した経緯を整理します。

  • 戦後、歴代首相はたびたび靖国神社に参拝していた。
  • 8月15日に参拝した初めての首相は、1975年の三木武夫首相。三木は「私人」として参拝した。特に政教分離の観点から政治問題化した。
  • 1985年8月15日、中曾根康弘首相が「公式参拝」した。このときの中国・韓国の反発を受けて中曽根は翌年以降の参拝を取りやめた。
  • 以降、小泉純一郎首相や安倍晋三首相の参拝に対し、中韓は反発し、国内でも議論されている。

日本国内で政治問題化したのは1975年、中韓が批判するようになって国際問題化したのは1985年といえます。

(参考)

  • 『読売新聞』(2013年10月10日、東京朝刊、p.4)
  • 『読売新聞』(2014年11月6日、東京朝刊、p.11)

靖国参拝は政治問題であるべきではない

私は、政治家が靖国神社に参拝するかどうかは、すべて各人の良心に委ねられるべきで、なかには外国への配慮をから参拝を取りやめる人がいてもよいし、自国のために散った命に手を合わせる人がいてもよいと思います。

ナショナリズムや国際主義といった政治的な動機から態度を決するべきではないと思います。

〈左〉の動機から参拝を取りやめるのもおかしいですし、〈右〉の動機から参拝をしたり、人に参拝するよう求めていくのもおかしいと思います。

参拝するかどうかはひとえに「心」の問題ですから、政教分離からの議論はなされてよいと思いますが、特定の外国からの反発が参拝する動機の妨げにはなってはならないと思います。




死はすべからく尊ばれるべき

悪い人物であれば、その人物が死して後も批判を加え続けるのが正当とするかのようなあり方には疑問があります。

いかなる人の死も、死それ自体は尊重されるべきだと思います。

過去の戦争を主導した指導者であっても、人物の評価と死の尊厳は切り離されて捉えるべきだと思います。

私は、ドイツ人がヒトラーの墓前で祈ったとしても、ヒトラーの負の部分まで肯定したとは捉えません。韓国人が伊藤博文の暗殺者である安重根を英雄として崇めても、感情的な乱れこそあれ、その死まで否定することはありません。

戦争の反省をすることと、戦争犯罪人の死の尊厳までも否定することは、異なる問題だと思います。

結論

日本の政治家が靖国神社に参拝するかどうかの態度の決定は、少なくとも、中韓の反応や、日中・日韓関係を懸念した米国の反応からは、独立していけなければなりません。

私は、政治家が靖国に参拝するもしないも、終戦の日や例大祭などに合わせていつ参拝するかも、どのような立場で参拝するかも、すべて各人の自由な態度決定を支持したいです。

靖国神社へ参拝するかは、各政治家の良心に委ねられるべき

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